伊坂幸太郎の小説『SOSの猿』。
この小説の中にこんな文章が。
人の気持ちなんて、本当は一言で言い表せない。そうだろ。文章化できるわけじゃないんだ。
よく映画とかを観た後に、自分の気持ちや感じたことを他人に説明していると
頭を回転させて必死に言葉を選んでいるのに
「なんか違う…」「おれの言いたいことはこういう事じゃない」「微妙にニュアンスが違う!」みたいに思う事ってありません?
僕はよくあります。
例えば「理論」みたないものを説明するなら
(十分に理解していれば)使うべき適切な言葉がわかるし、ある程度ちゃんと説明できるけど、感情や感想といった「自分の気持ち」を説明するとなると、急にフィットする言葉がわからなくなってしまう。結果うまく心の中を説明できない。
これってなぜなんですかね・・・。
今みたいな夏の夕方の空って1、2分のあいだ目を離すとすぐ別の色になってます。
日中は青だったのが薄いオレンジや濃いオレンジ
はたまたピンクゴールドみたいになったり
時にはもくもくと雲がかかって灰色になったりして
いつの間にか濃紺の夜空になってます。
多分「自分の気持ち」、つまり“人の心の中”もそれと同じなんでしょうね。
常に動いていて捉えようが無い。
「心の中」を説明しようっていうのは、夏の夕方の空の色を説明しようとしている様なもので・・・。
例えばこんな感じ。
「今の空の色は何色?」
「オレンジ…。いやあっちの方は薄紫っぽいな、う〜ん。あれ?なんかこっち雨降ってきたし!」的に
もはやあっちこっちで“わちゃわちゃ”していて言葉では簡単に表現できない。
僕は今まで自分の心の中を説明できないのは、ボキャブラリー不足とか話下手なんだと思っていました。
だから友人と一緒に映画を観に行っても、感想とかを話すのを少しためらっていました。
だって話してもどーも自分が感じたことを正確に表現できないから。
「違う。おれはこんな浅い感想しか抱かなかったワケではないんだ!(必死)」とか思っちゃって必死に何度も説明し直してました。
でも
そもそも「心で感じたことは、ちゃんと説明できなくて当たり前なんだ!」って思えたらなんか気楽になれました。
毎度、あっさい内容の文章で恐縮ですが、とりあえず今回も気楽に書いてみました。
『SOSの猿』。面白くて少し変わってて、人の「心」というのを少し考えてみる小説。
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