『ジョーカー』の好き度
ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した話題の『ジョーカー』を観てきました。
いやー暗かったですね。子ども連れも多かったですが、子どもは観終わった後どんな気分になるんだろう。
スタッフ・キャスト
スタッフ
- 監督:トッド・フィリップス
- 製作:トッド・フィリップス ブラッドリー・クーパー エマ・ティリンガー・コスコフ
- 製作総指揮:マイケル・E・ウスラン ウォルター・ハマダ アーロン・L・ギルバート ョセフ・ガーナー リチャード・バラッタ ブルース・バーマン
- 脚本:トッド・フィリップス スコット・シルバー
- 撮影:ローレンス・シャー
- 美術:マーク・フリードバーグ
- 編集:ジェフ・グロス
- 衣装:マーク・ブリッジス
- 音楽:ヒドゥル・グドナドッティル
- 音楽監修:ランドール・ポスター ジョージ・ドレイコリアス
キャスト
- アーサー・フレック/ジョーカー:ホアキン・フェニックス
- マレー・フランクリン:ロバート・デ・ニーロ
- ソフィー・デュモンド:ザジー・ビーツ
- ペニー・フレック:フランセス・コンロイ
- ギャリティ刑事:ビル・キャンプ
- バーク刑事:シェー・ウィガム
- トーマス・ウェイン:ブレット・カレン
- ランダル:グレン・フレシュラー
- ゲイリー:リー・ギル
- アルフレッド・ペニーワース:ダグラス・ホッジ
- ブルース・ウェイン:ダンテ・ペレイラ=オルソン
『ジョーカー』のあらすじ
舞台はゴッサムシティ。ピエロの大道芸人として生活するアーサーは、看板持ちの仕事をしてたら不良に絡まれ、護身用の銃を子どもの前で落とし問題になり仕事もクビに。
さらには、一緒に暮らしている唯一の肉親と思われる母も病気で病床に伏せっているし、自身も状況に関係なく笑ってしまう病に苦しんでいました。
何重苦にもなり追い詰められていたアーサーは、ある日、電車内で女性に絡む3人の証券会社のエリートサラリーマンを持っていた銃で射殺します。不景気で荒れまくっているゴッサムシティでは、エリート証券マンを殺した殺人ピエロはヒーローのような扱いを受け始めます(ピエロメイクのおかげで顔が割れず捕まらなかった)。
そんな折、母親がゴッサムシティの市長選に出馬予定の経営者トーマス・ウェインと「実は以前恋仲だった…」ことを告白したので、アーサーは助けを求めトーマスに会いに行きます。
しかし、トーマスからは「彼女の妄想だ」とバッサリ言い切られ、実際に病院で母のカルテを盗んでみたら本当に妄想だったことが判明。それどころか、母は昔から虐待やネグレクトを繰り返し、アーサー自身の病もそれが原因であることがわかります。
絶望したアーサーは母を殺し、以前からムカついてた元同僚も殺します。
さすがに警察に疑わることになったアーサーですが、そんな彼のもとに先日、自分がコメディアンとして初めて行った舞台を見たというテレビ関係者から、番組への出演依頼がきます。しかも憧れのコメディアン、マレー(ロバート・デ・ニーロ)の番組へのオファーでした。
しかし、実際はアーサーの舞台を評価したわけでなく、馬鹿にして笑いものにしようとして呼ばれたことがわかり、アーサーはジョーカーメイクで番組に出演すると、生放送でこれまでの殺人を告白。それを聞いて正論をぶつけ非難してくるマレーを射殺。
警察に捕まるも、ジョーカーの放送を見た暴徒に偶然助けられ、自身の血で唇のメイクを塗り直すと、大勢の暴徒の前でダンスをしながら「教祖誕生!」的に映画は終わっていきました。
『ジョーカー』の感想
雰囲気がもうアメコミ映画じゃない…
映画を観てまず気になったのが映画の雰囲気。ミニシアターでかかってる重たいヨーロッパ映画みたいに暗くて陰鬱…なんですよね。
はっきり「アメコミ映画な感じは全くない…」と言い切れます。マーベルのある意味少年漫画っぽい作りの真逆というわけでもなく、もともと暗めのDC映画の系譜ってわけでもなく、なんていうかアメコミ映画とはそもそも”別ジャンルの映画”って感じなんでした。
アーサーに感情移入しきれないようになってる
主人公アーサーは、とにかく不運つづきなんですよね…。予告でもあったように彼はピエロの大道芸人として生計を立ててるわけですが、靴屋の看板持ちの仕事をしてたら不良達に殴らるわ、小児科医院に芸をしに行ったら同僚に護身用にもらった銃がポッケから落ちて大問題→芸人事務所もクビになるわ、家で二人暮らしの母は病気で生活も苦しいわで、何重苦にもなっててアーサーの心はどんどんすさんでいくわけです。
とはいえ、「アーサーが”ジョーカーのような人殺しになっても当然…”」と誰もが思えるような、「アーサー可愛そう…」って作りにはなってなくて。
厄介なことに、アーサー自身にも省みるべき点、落ち度みたいなところが若干はあるように作られてるんですよね。「靴屋の看板を不良に壊された件を靴屋や事務所に報告せずそのまま帰っちゃったぽいところ」とか「そもそも子どもがいる職場に銃持っていっちゃダメでしょ!」とか。
だからこそ観客には「たしかにツイてないし同情できるけど、逆恨みじゃねーか!」とアーサーに批判的な意見も持てるように作られてると思います。安易に感情移入できないようになってるというか。
そして観客のそうした気持ちを代弁したのがアーサーが憧れていたロバート・デ・ニーロ演じるマレーだったと思うんです。
クライマックス、アーサーは憧れのマレーのトーク番組に出演し、自身が犯した殺人をを雄弁に語るわけですが、そこでマレーに”正論”を食らうわけです。「君のやってることは単なる逆恨みだ」的な内容の(私はマレーの正論を聞いて「強者の意見」と感じつつも「一理ある」と思いました)。
それを聞いたアーサーは「そんなことわかってんだよ」と言わんばかりにマレーの頭を「バーン!!」と撃ち抜きます。けっこう唐突に撃つんで、マレーの意見に同調気味だった自分はびっくりしました。
そして、後々になって感じたのは「あれはおれも撃たれたようなもんだな」、ということ。
現実の自分はアーサーほど苦しい状況ではない。それゆえ、マレーみたくどこか”正論”や”べき論”でしか考えてなかったんじゃないか、と(とはいえマレーみたく”人生の成功者”でも全然ないけど)。
自分だって、もしあれほど苦しい状況に追い詰められたら、正しい思考や行動はできないだろうし、余裕で世の中に逆恨みすると思います(あんな反逆行動はできないと思うが)。ていうかむしろ会社辞めて転職活動してる時にたくさん面接落ちたり、面接官にちょっと嫌な態度とられたりしただけでも、反社会的などす黒い感情を抱いちゃうくらい弱い人間なのにね…(もちろん抱くだけ)。
結局、自分が弱い立場のときは平気でダークサイドに落ちて”正論”を軸に行動できないくせに、自分が安全な場所にいるときは”正論”をかざしてたわけですよ…。
それに気づいたらちょっとダウナーな気分になりました(笑)
妄想と現実の境目がわからない
映画の作りの方に触れると、本作は「あれは妄想でこれは現実」「全部妄想」などいろいろなパターンが考えられ、どこまでがアーサーの妄想でどこまでが現実かが明確にはわからない構成になってます。
観た直後は「ラストシーンがあの白い部屋の病院ってことは、前にアーサーが入院してた精神病院(序盤の回想シーンでアーサーは部屋が白い病院に以前いたことがわかってる)と同じ?てことは、ずっと入院しっぱなしだったの?全部妄想?!」と思ったのですが、単に改めてあの病院に入った、とも考えられるので、今思うとちょっと違う気もします。
本作の厄介なところは、現実と妄想の境がわからない作りになってる一方で、確実に妄想とわかるシーンもあるところなんですよね。例えば隣人の女性とデートしてたのは「実は妄想でした」と説明するシーンが差し込まれてたりします。
そういうのがあると「確実に妄想とわかるところ以外は、やっぱり現実…?」という気もしてきます。ただ、「っていうのも全部含めて妄想でした」って考えもできるしなあ…。
まあ、監督インタビューによると「はっきりはわからないように作ってて、みんなが多様な見かたを持つのがいいんだ」的なことを言ってたので、答えが作中にある感じでもなさそうなんですけどね。
ジョーカーは実際にでも存在しうる…?いや、しない。でも本作が今の世の中とリンクするのは確か
急に話が変わりますが、最近街を歩いてると自分含めみんな前よりライトにキレやすくなってる気がしてて。
これが景気のせいなのか何なのかはわからないですけど、イラつける人を見つけたらここぞとばかりにイラつきにいったり、立場的に弱い人には遠慮なく怒りをぶつけようとしたりする人を見かける機会が少々増えた気がします。
で、そう感じてた事もあってか、作中の舞台”ゴッサムシティ”と”今の日本”がちょっとリンクしました。
なにが言いたいかというと、作中、アーサーは電車内で女性にウザ絡みをしてた証券会社員の男3名をリボルバーで射殺します。アーサーのしたことは結果的に女性を守ったとはいえ、かなり”やりすぎ”なのはたしか。にもかかわらず不景気で治安も悪いゴッサムシティではそのニュースが広がると、稼いでる証券会社員=強者を殺した犯人を”英雄扱い”するという事態が起きます。
映画を観ていたときは「いやあ、ゴッサムシティはやはり荒れてるなぁ…」と思いましたけど、”最近怒りの沸点が低くなってる説”に照らしてみると、あながちいまの日本でも無い話じゃないぞ?と思えちゃったんですよね。
とはいえ、過去の数ある通り魔殺人や無差別殺人などからもわかりますが「立場が弱い者はさらに弱い者へ攻撃する」というのが悲しい事実。アーサーのように”権力を持つ者=強者”へ攻撃するのはリアルでは考えにくいのも確かです。現実では作中に電車で絡まれてた女性の方が狙わたりするのかもしれません…。考えたくもないですけどね。
そういう意味で言うと、アーサーは自分より弱い者を狙う…という感じではないので現実にはなかなかいないタイプだとは思います。実際にちょっとからかわれてた同僚の小人症の彼には手を出さなかったし(とはいえ、隣に住んでた親子には何かしら手をだしたっぽいので、なんとも言えないけど)。
じゃあ、強者や権力者へのみ反逆していくダークヒーロー的存在かというと、そんな感じとも違うんですけどね。
なんていうかアーサーは“弱者も強者も関係なく、人間全体に嫌気がさした”、とでもいうか…。少なくとも自分にはそんな風に感じました。
まとめ
毎度の通り今回も脈絡のない文章を書きましたが、本作『ジョーカー』はアメコミ映画とは思えない、濃厚で観終わった後くらってしまう、すごい映画だったと思います。暗い映画なんで観るタイミングを間違えると数日病む可能性もありますが、また観たいと思います。
関連作品
「ダークナイトでいえばジョーカー。…時として主役を食っちまう」でおなじみの『ダークナイト』。
クリストファー・ノーラン監督のダークナイトシリーズの2作目ですね。ヒース・レジャーのジョーカー役が話題になりました(彼はジョーカーを演じたせいでかはわかりませんが、その後オーバードーズで亡くなりました)。ジョーカーの怪演ぶりはたしかにすごいです。そして、ラストの終わり方がかっこいい。
『バットマン』といえば、ティム・バートン版も忘れてはいけません。
各方面で言われてますが、本作が多分に影響を受けている『タクシードライバー』と、
『キングオブコメディ』。
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