『ダークナイト』〜ジョーカーについて少し考えてみる〜

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ダークナイト

「ヒース・レジャー演じるジョーカーが良い」とどこの映画サイトやブログを覗いても言うので気になり見ました。
確かにジョーカー良かった!作中でも一人浮いてるほどの別格な存在感。
主役はジョーカーと言ってもいいと思いましたもはや。

舞台は悪意うごめく街ゴッサム・シティ。
バッドマンの活躍はマフィア達から脅威と認識され始めていた。
そんなある日狂気香る凶悪な犯罪者ジョーカーが現れる。
本作を終えて急逝したヒース・レジャー演じるジョーカーが
人々の利己心や欺瞞を利用しバットマンだけでなくゴッサム・シティの市民、警察、そして観ている我々の心すらも内側から揺さぶってくる。
ジョーカーを見てると、悪意はなぜ生まれるのかを考えてしまいます。

その答え、というわけではないですが劇中に聞いてなるほどと思ったセリフがありました。
このセリフはジョーカーの持つ「悪意」とジョーカーによって踊らされた人々の持つ「悪意」の違いについてを説明しています。

「ある種の人間たちは、例えばお金のような、論理的なものを求めない。
彼らには買収も、脅迫も、説得も交渉も通じない。

“世界が燃え落ちるのを見たいだけ”という連中もいるのですよ。」

世界から犯罪や暴力やいじめといった「悪意」を動力源とする行為が決して無くならない理由の核心を突いていると思うこの言葉。
そうなのだ。確かに人が悪さをするとき、そこに必ずしも論理性があるとは限らない。
ジョーカーに踊らされた人々に芽生えた悪意には明確な理由(論理)があるが、中にはそんなもの関係なく単に悪さをすることが”好き”な人間はいるのだ。
ジョーカーはまさにこっちのタイプ。だからこそ、悪意に迷いが無い。
残虐な行為をしても良心の呵責は1ミリも無い、本当にカジュアルに銃の引き金を引く。
その振り切った姿と、人々の利己心や欺瞞を嫌う姿勢に魅力を感じる人も多いようですが…。

ただ、一個忘れてはならないことがあります。
それは、ジョーカーは”物語だからこそ格好いいキャラとして成立してる”ということ。
偽善的な振る舞いや欺瞞を嫌い、人々を内面からぶち壊そうとする姿は確かに映画の中では魅力を放っているが、
リアルな世界にいたらジョーカーは全く格好よくないです。単純に、人々を恐怖にうずめ、たくさんの被害者を出しているのだから。

と、まあ、なんやかんや書きましたが、
ヒーローの苦悩というアメコミ・ヒーローモノの王道テーマも扱いつつ、
非現実的な世界観をリアルに描いてもいて、
ジョーカーという魅力的なキャラもいるので、
この作品、とても面白かったです!

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